一方、両親との暮らしは日常生活ではなく
その大半がイベントのようだった

いつも昼近くに起きるダメな子と私をからかう母は
よくレストランに私を連れて行った

私は毎回ホットケーキのバター抜きを頼んだ
なぜバター抜きかというと脂の塊のイメージがあった
バターやマヨネーズを美味しそうに食べる母の唇は
必ず白く脂が浮いていた
だからマヨネーズも嫌いだった

帰りはあちこち買い物をして帰る
書店と文具店は必ず立ち寄り
絵本と絵描きノートを買う
何でもない日におもちゃを買う事もよくあった
衣類や靴などは百貨店のもので
必ず母が選んだものだった

サプライズのプレゼントも度々だった
お姫さまのようなピンクのネグリジェは
化学繊維のうえ就寝時に裾が捲れて
暑いのか寒いのか分からないほど着心地が悪かった
バレエも習っていないのに本物のトウシューズももらった
色はベビーピンクだった
サイズは合っていたが爪先立ちすると激痛が走るので
気が向いた時だけの室内履きになったが
それでも履き心地は悪かった

思えば私は
おもちゃはもちろん様々なものを
欲しいとねだったり駄々をこねたりする事は無かった
きれい、ステキ、いいな、など
1人ごとで感想を言うと
いつの間にか手に入っていた
だからネグリジェやトウシューズのように
困惑した事も多々あった

でもそれを喜ぼうとする自分もいたのを覚えている
なぜなら周囲の大人が期待だらけの顔で私の反応を見ていたからである
「ありがとうは?」母はもちろん、その場に父もいれば一緒に促す
「…ありがとう…」
「もっと心を込めて」

私にとって「ありがとう」は苦手な言葉になった
とても芝居がかった言い方をしないと認めてもらえなかったからである