この頃の私は食べ物の好き嫌いが多かった

初めて食べたものでも私が嫌がると

母はもう作らなかったと言う

 

出先で知人に会うと母は

私の好き嫌いを私の前でイヤミたっぷりに愚痴った

同じようなものしか食べないから食事の支度にも困る、

だから痩せっぽちで体が弱く、年中風邪をひいている、

夜もなかなか眠らず朝も遅く起きる、

だから幼稚園も無理だけど

こんなにわがままで小学生になったらどうするのかしらねぇ

 

そして自宅では

幼稚園は行っても行かなくてもいいけど

小学校は義務教育で行かなきゃいけないもので

朝は決まった時間までに行って

昼は皆と同じ給食を食べなくてはいけない

好き嫌いがあると自分が恥ずかしい思いをするんだ、と言った

 

私は反省のしようがない反省をして

自責の念に駆られ、自己嫌悪に陥った

 

その頃、母方の祖父が入院した

末期の食道ガンだった

面会に行くと病室の皆に同じ食事が配られるが

子供の目には決して美味しそうには見えなかった

皆、同じ食事…

プラスチックやアルミの味気ない食器…

 

私は似たようなものをテレビで見た事があった

父と2人で家にいた時、テレビでやっていた映画の中で

刑務所の食事風景が映った時である

登場人物達が「臭い飯」とくちばしっていた

私は驚いて父に質問を繰り返した

「どうして臭いの?腐ってるの?分かってて食べさせてるの?」

腐ってないが、臭いは喩えだと父は答えた

喩えの意味は分からなかったが腐ってないと分かって私は安心した

すると父は戦後の闇鍋について話し出した

「どうせ大勢の他人に食べさせるから何が入ってるか分かりゃしない、

客の注文を聞いてから作る飲食店とは訳が違う」

 

これがキッカケとなり、

調理場で大量に作られる病院食や給食などに

私は不安や嫌悪感を持つようになった

 

ある日、母は私に

「ママの好きな食べ物をキライな子はママの子じゃないよ」と言って

大きいスプーンにバターを取って私に食べるよう促した

台所の流しの前に椅子が置かれているので

そこで食べなさいという意味である

嫌いなものなので吐く前提での場所でもある

「ほら早く、好きなものだと思えば平気」と急かした

私は泣いたりぐずったりせず

「どうして?」と質問もしなかった

なんとかやり過ごさなければ

この場がおさまらないと思っていたのは

母の様子が尋常ではなかったからである

バターがキライな私を

ため息まじりに呆れたり笑いながらからかったりした

子供心に泣いたりわめいたりしてる場合ではないと

何度もえずきながらスプーンのバターを口に入れたが

気が変わったのか許された

私はグッタリして眠りについた

その日は父が帰って来ない日だった