母のおなかに赤ちゃんがいると聞いて

私は心底から舞い上がった

 

私はお姉ちゃんになれるんだ!

よその赤ちゃんがあんなにかわいいんだもの

うちの赤ちゃんはきっと

私にとっていちばんかわいいはず

たくさん遊んであげて

出来るだけお世話もしてあげたいなぁ

 

それまで私は

弟妹がいる子を羨ましがった事はないので

母に赤ちゃんをお願いした事もなかった

なので思いがけずお姉ちゃんになれる私は

それはそれは嬉しくて喜んだ

 

私の中では 女の子 だと思っていた

カナエちゃんちも妹だったし

サエコも女の子だし というのが理由だった

 

前に住んでいたマンションの姉弟

母の実家に住んでいる従姉弟

姉が2人いる末っ子長男のため

おとなしくて影が薄い と言えば聞こえはいいが

悪く言えば 味噌っかす だった

なので私にとって

男の子はあまり馴染みが無かった

 

でも何よりも私自身のために

大人の中で育った私自身のために

遊び相手としても話相手としても

私は妹が欲しかった

 

ある時、母方の祖母が訪ねて来た

父方の祖父母とは初対面ではないようだった

母方の祖父はもう亡くなっていたが

両家が揃っているのを見るのは初めてだったし

母方の祖母がかしこまっているのが面白くて

ニヤニヤしながら茶々を入れた

 

もっと小さかった頃、よく母の実家に預けられた夜に

布団の中で祖母の垂れた乳房にふれると

とても安心した時のマネをしたら

「今はダメ💦向こうで遊んでおいで💦」と

目配せしながらゼスチャーした

 

一瞬、私は祖父の顔色を見た

お客様に馴れ馴れしい態度をとって

怒らせたかな?と思ったからだ

祖父はいつも通りで安心したが

隣の祖母は寂しそうな笑顔で私を見ていた

 

私はその時、

2人の祖母に対する自身の態度が違う事を

はっきりと理解した

 

ずっと一緒に暮らしていても

素の自分を出せている訳ではない事、

リラックスはしていても

お行儀を気にしている事、

母方の祖母には

スキンシップも 瞳での会話も

阿吽の呼吸だった事、

それを父方の祖父母が目の当たりにしてしまった事、

そしてそれを寂しいと思わせてしまった事…

 

夜、眠る前に

猛烈に反省した私は母に相談してみた

「仕方ないよ、当たり前じゃない」と母は言った

そういえば母も

ここに住んでいるいつもと

実家に行った時は違っていた

私にとっては2人ともおばあちゃんであり、

違う態度をとる事は

ひいきや差別に近いと思い、

私は平等を心掛けたいと強く感じた

 

しばらくして母方の祖母が

叔母夫婦と暮らすために単身で引っ越したと聞いた

赤ちゃんが出来たお祝いに訪問したと思っていた私は

遠くに引っ越す挨拶に来た意味もあったのかと思った

母は義姉が追い出したんだろうと言った

私は祖母が可哀想だと思ったが

あんなに狭い長屋に6人で暮らすよりは

サエコと一緒の方がいいはずだと思った

 

母はカナエちゃんのママのように

赤ちゃんの靴下は編まなかった

検診で町へ出掛ける事が

すごく楽しそうだった

 

私は祖父から縦書きのノートをもらった

こくご と書いた学習帳で

今まで使っていた少女漫画風の絵描きノートとは全然違っていて

しっかりせねば と私は自身に気合いを入れた

こくご とは日本語の事で

住所を書いて覚える練習をしなさいと祖父は言った

登下校中にもし迷子になったら

おまわりさんに伝えられるようにとの事だった

明日もう一度、2人で通学路を歩いたら

一緒に地図をこのノートに書こうと

祖父はウインクしながら提案した

 

私は頼れる祖父母と仲よしで

初めての同年代との集団生活も

何とか頑張れそうだと思った

たまに見せる祖父の厳しさは

小学校での緊張感の練習になるだろうし

祖母も心配しながら応援してくれるはずで

不安を期待が少なくしてくれると感じていた

 

年が明けて数週間経った頃、

母は女の子を出産した

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雪がとけて暖かくなった頃、

カナエちゃんの妹が産まれた

赤ちゃんはママが編んだ靴下を履いていた

カナエちゃんは名前の他に

「お姉ちゃん」とも呼ばれていた

 

カナエちゃんはいつもと変わらなかった

そんな態度に私は しっかり者 の印象を持った

カナエちゃんのママも2人目らしく

ましてや同じ女の子なので落ち着いていた

 

そんなカナエちゃん親子の様子を

母は 素直じゃない と受け取めていたらしい

目に見えて喜ばず、誰も頼らない

そんな態度に理解が出来なかったんだと思う

「おめでとう」や「かわいいね」を笑顔で称賛できる私を見て母は喜んでいた

 

ある時、カナエちゃんと私は

赤ちゃんを少しだけ見ていてと頼まれた事があった

近所の商店へ足りないものを買いに行くので

すぐ戻ると言っていた

赤ちゃんは眠っていたので私たちが困る事は無かったし

商店はほんの近所でカナエちゃんのママはすぐに戻って来た

「お姉ちゃんたち、ありがとう」

カナエちゃんのママが私たちにお礼を言った時、

私は嬉しいような恥ずかしいような

くすぐったい気持ちになった

 

もし赤ちゃんが途中で泣いたら

あやしたりするのはカナエちゃんであって

私ではなかったはずなのに

どういたしまして と自信を持って言えるわけではないのに

 

この時、私は

謙遜しなければいけないという思いが頭をよぎった事を覚えている

でも思いがけず褒められてお礼を言われ、

ましてや「お姉ちゃんたち」と

カナエちゃんと同じく呼ばれた事が

嬉しくて嬉しくて

困ったような笑顔を浮かべるだけで

何も言葉を返せなかった

 

なんだか甘いけど酸っぱい果物を食べた時みたいな気持ち…

私は夢見心地だったが、ふと気付いた

カナエちゃんもこんな気持ちだったんだ…

 

雪国が早めの秋になる頃、祖父は

私が春から通う小学校までの道案内をしてくれた

外出はいつも車だった私にとって

かなりの距離だったし曲がり角もたくさんあった

 

「広い方の河を渡ったら2つ目の信号を右へ。

しばらく行くと横断歩道の先の金物屋を左へ。

公園を通り過ぎて病院の裏が小学校のグランドだ。

グランドを横切って下駄箱まで行けるよ」

(かなり省略してあります)

 

ややこしかったが私は1回で覚えなくてはならなかった

こんな長い距離をもう1度、祖父に歩かせるのは気が引けたし

幼稚園にも保育園にも通っていない私には

同じ年齢や年上の知り合いがいなかった

 

「分からなくなったら歩いてる人に訊けばいいんだよ」

まるで他人事のように笑いながら父は言った

 

ある日、母が言った

「ママねぇ、赤ちゃんが出来たの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

祖父母に見守られて

私は田舎でスクスクと育った

祖父母に両親がセットになっているような時もあり、

極端に悪く言えば

両親はオマケの付録のようだった

祖父母は両親をも教育し直していたんだと思う

 

起床、食事、就寝、これらの時間はもちろん、

内容も素晴らしく激変された

私は午前中に起きられるようになり、

空腹を感じる前に手作りの食事を食べ、

夜はぐっすりと眠った

 

祖父母の家の居間には

振り子の掛け時計があった

昔の時計でアラームオフ機能も無いので

夜中でも必ず時を告げる

寝室まで聞こえて来る「ボーン」の音を数えて何時か把握できた

日々の生活はこの時計の音と共にあるようで

一緒に流れていた

 

田舎の大自然の中で

私は四季折々の楽しみを満喫していた

祖父母や両親、父の弟たちと

河原でバーベキューをした時には

虫や魚などの川の生き物を捕まえた

普段はカナエちゃんとタンポポの花輪を編んだり

雪だるまやカマクラを作ったりした

 

カナエちゃんのママはいつも

家の中からや家庭菜園をしながら

必ず私たちを気にとめていた

私たちの会話に入るような事はなく

いつも静かに家事をしていた

私たちが質問をした時だけ優しく答えてくれた

 

ある時、カナエちゃんのママが編み物をしていた

何を編んでるのか聞いたら

赤ちゃんの靴下よ カナエはお姉ちゃんになるの と教えてくれた

 

遠くに見える山、家のそばを流れる川、

広い平原、所々に立つ樹木、祖父の畑…

 

私は母の実家はもちろん、父の実家も大好きだった

私は故郷が大好きだった

そのうち父はスナックを経営し始めた

母は何度か私を連れて行った

 

母は父と一緒に店を切り盛りするのではなく

あくまで マスターの妻 として

店に顔を出した

 

年配の女性は皆にママと呼ばれ

私に笑顔で優しく接してくれたが

いたわるような心配するような眼差しを

度々、私に向けるのが印象的だった

それは店の若いお姉さん達には

まだまだ到底できないものだった

 

薄暗い店にはライトが点灯するガラスの戸棚があり

形もラベルも綺麗な洋酒の瓶や

様々なグラスが輝いて並んでいた

そのカウンターの中で父はシェーカーを振っていた

私はカクテルに飾るフルーツを食べさせてもらったり

リキュールの香りを嗅いだりして遊んだ

母はいつもカウンター席に座り

店員や常連客らしき人と話し込んで盛り上がっていた

 

夜も更けると

私は1人で帰される事が殆どだった

店のボーイが車で送るか

父か母にタクシーに乗せられ帰宅した

半分眠った私を玄関で祖父母が出迎えて

もう遅いからとお風呂は入れずに

パジャマに着替えさせてもらい布団に潜った

 

毎回いろいろ世話をやかれながら

何となく祖父母は不機嫌なのではないかと思っていた

父の店に向かう前の祖父は無表情で言葉も少なく

「気を付けるんだよ」も真剣な顔つきで言うのに対し

祖母は常にハラハラした様子だった

私が帰宅した後は

祖父には困惑が、祖母には安堵が

それぞれプラスされていた

だから外出時の雰囲気が完全に消えたわけではないと

何となく確信めいたものを感じていた

両親は同郷なので

母の実家はタクシーで30分くらいの距離だった

1ヶ月に1回は母と泊まりに行っていたと思う

 

その頃、公営の2Kである母の実家には

祖母と母の兄夫婦が3人の子供と住んでいた

私は年上の従姉2人と遊べるのが毎回嬉しかった

いちばん下の男の子は私の1つ下だった

 

日曜の朝に目覚めると憂鬱だった

午後には帰らなければいけないからである

従姉と遊ぶのも楽しかったが

何より大好きな母方の祖母のそばにいるのが嬉しかった

私は天井の染みをじっくりと目に焼き付ける

よく預けられた小さい頃、夜になっても寝つけずに見つめた天井で

染みにもなかなか馴染みがあった

そして帰りのタクシーから見る景色も

ため息をつきながら惜しむように眺めた

 

自宅に着いて父方の祖父母が笑顔で出迎えてくれる頃には

私の憂鬱はいつもスッキリ晴れていた

祖父は向こうの祖母は元気だったか訪ね、

祖母は夕食のメニューを教えてくれた

ホームドラマのような日常生活に戻るのは

穏やかな安心そのものだった

 

眠る前に楽しく遊んだ事を思い出す

泊まった翌朝、私はいつも従姉に言っていた事があった

「今日も泊まって明日もみんなで遊びたい」

従姉達は決まって

「うーん明日から学校があるからね…」

「そうだね学校に行かないとね」

小学校に通う事に不安がある私は

行きたくないけど行かなきゃいけない所だと再確認した

従姉の様子からは決して通学を楽しみにしているようには見えないからである

行きたくないのに仕方が無いから行く従姉達は

とても大人びて見えた

 

上手く伝わったか分からないが

この事を母にも訊いてみた事があった

母の答えは

「学校に通うのは子供の仕事でしょ?

学校に通えない子供もいるのに何言ってるの

バチが当たるよ」

発展途上国の子供の新聞記事を見せられてもよく分からないが

面倒なので頷いた

私も頑張らなくてはと自分で自分に言い聞かせて眠りについた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

祖父母の家の隣に父の従兄弟の家があった

隣と言っても田舎なので

片側2車線道路の交差点の斜向かい程の距離があった

祖母の甥家族で私より年下の女の子を含む3人が暮らしていた

カナエちゃんはハキハキした人見知りしない子だったが

私のように大人の話に首を突っ込むような事はしなかった

 

他の近隣に子供がいるのか分からない田舎で

私はカナエちゃんと仲良くなった

カナエちゃんの家に母と2人で呼ばれた事がある

カナエちゃんのママは可愛らしいけど地味な雰囲気で

若くて優しいしっかり者のママといったイメージだった

気さくでおっちょこちょいだが

モダンな見た目をした母とも仲よくなった

 

カナエちゃんは女の子のおもちゃの他に

知育玩具をいくつか持っていて

それは毎月購読している絵本の付録なんだと

ママ同士がお茶をしながら話していた

しばらくしておやつが出たので

私とカナエちゃんもテーブルについた

食パンの耳を揚げてグラニュー糖をまぶしたものだった

食べ終わったあと、カナエちゃんはママに

もっと食べたいと言ったが

夕飯が食べられなくなるからとヤンワリ断わられた

 

帰り際、カナエちゃんのママは

1人でもママとでもまた遊びにいらっしゃいと

笑顔で見送ってくれた

私は同年代の友達が出来た事が嬉しかった

 

その夜、私はお風呂で母に

カナエちゃんと同じ知育絵本を毎月頼んでほしいと言った

簡単なドリルみたいなものもやりたかったし

消して何度も書けるボードや12色のロケット鉛筆など

家でも使いたかったからである

母は笑いながら、でもアッサリと却下した

「遊びに行った時に思う存分、貸してもらえばいいんだよ

そのうちもっといい、ちゃんとしたおもちゃが売られるから

付録なんて安物買いの銭失いだよ

カナエちゃんのママは勉強にもお金にもしっかりしてるからさぁ

おやつだって自分で作ったものだし

余ってても食べさせないでしょう?」

そして自分は大人だから

物事の本質を見ぬく事が出来るけど

子供はうわべの良い部分しか分からないと

自慢げに言った

これは他人の甘い言動に騙されるなという教訓を述べていると思った私は

いわゆる ここだけの話 として誰にも話さなかった

 

 

 

 

 

 

 

 

父方の祖父母と同居してから

私は午前中に起きられるようになった

引っ越し当日の夜は疲れから早く眠ったし

物音で起きる朝もつらくなかった

 

台所の朝食の用意や洗濯物など

大人達がパタパタ走る音で目覚めた

起きたばかりでまだおなかが空いてないと言うと

少しでも何か食べなきゃダメだと祖父が言う

ごはんなら卵を焼く?海苔も食べる?それとも

食パンにする?と祖母が笑顔で質問する

まず、これが両親との違いである

 

マンションにいた頃は

昼頃に起きて少しダラダラと遊び

空腹を感じたら食事をしていた

すでに起きていた母はいつ食べたのか分からない

先に食べたと言われた事もなかった

 

母が出す食事はよく言えば簡素、悪く言えば手抜きだった

自分の気が向いた時は張り切った事もあったが

それでもホットケーキやナポリタンなどだった

父の不在が多かったし幼稚園に通ってないので

まさに密室育児だったんだと思う

 

ここではいつまでも眠っている私を起こすまいと静かにしたり

時間稼ぎのように適当なものを食べさせる大人はいなかった

 

祖父は私にいろいろな事を教えてくれた

私も祖父のそばでいろいろな物を見て質問したりした

畑はもちろん、近くを流れる河の危険さ、日曜大工、自転車などの修理、地元の民芸品などである

収穫したばかりの野菜の味や、

雪の中のビニールハウス内の久しぶりに見る土や、温度と湿度には感動した

 

祖母は3食のご飯支度はもちろん、保存食なども大樽で作っていた

ごはんだよと呼ばれると既に各々の席に配膳されていて

みないっせいに食べ始める

もちろん祖母も食べるが、みんなの進み具合を見ていて

おかわりはいるかそれぞれ聴いていた

 

夕食が終わるとテレビで「トムとジェリー」を見た

祖父はコレ大好きなんだと嬉しそうに言った

2人で並んで見るのが日課になった

 

田舎の自然の中で私は元気に楽しく過ごした

この頃の父は家にいる事もあったがうっすらとしか記憶に無い

毎日家にいた母の記憶も断片的だ

それほど私には祖父母の存在は大きかった