母のおなかに赤ちゃんがいると聞いて 私は心底から舞い上がった 私はお姉ちゃんになれるんだ! よその赤ちゃんがあんなにかわいいんだもの うちの赤ちゃんはきっと 私にとっていちばんかわいいはず たくさん遊んであげて 出来るだけお世話もしてあげたいなぁ…

雪がとけて暖かくなった頃、 カナエちゃんの妹が産まれた 赤ちゃんはママが編んだ靴下を履いていた カナエちゃんは名前の他に 「お姉ちゃん」とも呼ばれていた カナエちゃんはいつもと変わらなかった そんな態度に私は しっかり者 の印象を持った カナエちゃ…

祖父母に見守られて 私は田舎でスクスクと育った 祖父母に両親がセットになっているような時もあり、 極端に悪く言えば 両親はオマケの付録のようだった 祖父母は両親をも教育し直していたんだと思う 起床、食事、就寝、これらの時間はもちろん、 内容も素晴…

そのうち父はスナックを経営し始めた 母は何度か私を連れて行った 母は父と一緒に店を切り盛りするのではなく あくまで マスターの妻 として 店に顔を出した 年配の女性は皆にママと呼ばれ 私に笑顔で優しく接してくれたが いたわるような心配するような眼差…

両親は同郷なので 母の実家はタクシーで30分くらいの距離だった 1ヶ月に1回は母と泊まりに行っていたと思う その頃、公営の2Kである母の実家には 祖母と母の兄夫婦が3人の子供と住んでいた 私は年上の従姉2人と遊べるのが毎回嬉しかった いちばん下の男の子…

祖父母の家の隣に父の従兄弟の家があった 隣と言っても田舎なので 片側2車線道路の交差点の斜向かい程の距離があった 祖母の甥家族で私より年下の女の子を含む3人が暮らしていた カナエちゃんはハキハキした人見知りしない子だったが 私のように大人の話に首…

父方の祖父母と同居してから 私は午前中に起きられるようになった 引っ越し当日の夜は疲れから早く眠ったし 物音で起きる朝もつらくなかった 台所の朝食の用意や洗濯物など 大人達がパタパタ走る音で目覚めた 起きたばかりでまだおなかが空いてないと言うと …

父の実家へ引っ越す事になったと言うので 私はヨッちゃん達にさよならの挨拶をして空港へ向かった 飛行機もこれが最後なのかなと思うと感慨深かった 母方の祖母と一緒に 楽しく乗った記憶しかなかったからである まれに母と2人で 寝台車やフェリーで行った事…

テレビの歌番組はもちろん、 深夜に両親が私を連れて行く店々には 流行りの歌謡曲が有線で流れていた 私はいつも不思議だった なぜこんな歌が売れているのか? 飲み屋で泣くような女の気持ちが共感できるんだろうか? そういう歌の中の女はだらしないと思っ…

母に連れられて叔母の家に行った事があった 同じ市内だが端と端で、電車に乗ったり約1時間はかかった 叔母は私の両親と違って結婚式は挙げたものの、 かなり質素な生活をしていた 自分達の実家のような平屋のアパートに 必要最低限のもので暮らしていた 私達…

この頃の私は食べ物の好き嫌いが多かった 初めて食べたものでも私が嫌がると 母はもう作らなかったと言う 出先で知人に会うと母は 私の好き嫌いを私の前でイヤミたっぷりに愚痴った 同じようなものしか食べないから食事の支度にも困る、 だから痩せっぽちで…

母と2人で 子供向けの映画や遊園地へも出かけた 母の実家に行くために飛行機や 時には寝台車、フェリーなどを使う時もあった 母と私は おしゃれをして行儀よく振る舞った 母の実家に数日滞在すると 田舎の大人達は私に注目した 「かわいいからよ」母はよく言…

私には脚にも特徴があった 膝から下の骨格が外側に張り出している脚である 両親はそれを「かまあし」と言った 父は自分がそうなので似たんだろうと言っていた 父はそれをたまにからかう時があったし 正座をしてはダメと言う時もあった 自宅ではテーブルと椅…

ある日、やっぱり幼稚園に通わせようと 母が私を連れて下見に行った 母が好きそうなカトリック系の幼稚園である 今にして思えばあれは見学会などではなく 編入生として途中から通園する形だったと思う 教室の後ろのドアからそっと中を覗くと 同じ制服を着た…

マンションの裏には住人達に「グランド」と呼ばれる広場があった そこは公園ではなく本当にグランドだった バックネットがあったので校庭だと思うが 隅の方なら子供が自由に入る事が出来た かといって遊具がある訳でもないので面白く無く その時間に外で遊ん…

一方、両親との暮らしは日常生活ではなく その大半がイベントのようだったいつも昼近くに起きるダメな子と私をからかう母は よくレストランに私を連れて行った私は毎回ホットケーキのバター抜きを頼んだ なぜバター抜きかというと脂の塊のイメージがあった …

私は母の実家で過ごす事が多かった母と行った事もあるが 祖母が帰る時に一緒について行く事がほとんどだった 母と離れる事は寂しくなく 笑顔で手を振った事を覚えている逆に私が遊びに行っている隙を見て 祖母が帰宅した事があり 私は祖母が恋しくて何時間も…

おそらく眠った状態で深夜に帰宅する私は 昼頃に起床し空腹を感じれば食事をとる生活だった「起こしても起きないんだもん、ねぼすけだね」 よく母に言われた言葉である そこには甘やかしと呆れが混ざっていた家の中には退屈しないものが揃っていた おもちゃ…

父と留守番した夜に 車で母を迎えに行く事が何度かあった車には両親と同世代の男女が数人乗っていて 運転は他の男性がする事もあれば父がする事もあった みんなワーキャー騒いでいた大人達は笑顔で私の顔を覗き込む 何か言われると私は決まって言う事があっ…

私は60年代に両親の出身地でもある 地方都市で産まれた 父は23才、母は19才だったその数年後に移住したのだろう 記憶は都心近郊の街から始まる 両親が縁もゆかりも無い土地に越して来たのは 仕事関係などではなく、単に都会への憧れと思う3階建ての広めの賃…

「あのね、あんたの両親は… お父さんはヤクザで…お母さんは風俗嬢だった」私の両親に騙されたと言う母の妹が 12年前、私に打ち明けた話である父に関しては さほどビックリしなかったのを覚えている なぜならいくつかの理由と いくつかの思い当たるフシがある…

私は家族と暮らしている 幸せのような不幸せのような それも分からない 漠然とした不安や不満がある毎日は流れている 平凡に淡々と終わる日もあれば 家族の誰かの気分次第で 楽しい日も そうでない日もある 私は考える この楽しさを持続するには? この重苦…